ASTROLOGY and TAROT
Posted by suu(すー) - 2008.12.16,Tue
太陽の光は暖かく、明るい。
生き物の性として、太陽が地上にいる間、人間は、太陽の方を向く。これが基本。
北半球なら南、南半球なら北。
人間の感覚は、方角つまり地球の回転に従うのではなく、光に従うということ?
まだはっきりとはわからないけどとにかく
暖かく明るいほうが正面。
逆に、冷たく暗いほうが背面。
北半球と南半球ではこの向きが反転する。
占星術の場合、HOT,COLD,DRY,WETの4つのクオリティ(性質)により黄道12宮にそれぞれ組み合わせができる。
対応させると、HOT=暖 COLD=冷 DRY=明るい※ WET=暗い※ となる。
※本当はDRY=乾 WET=湿 だけどここでの説明の便宜上
例えば、白羊宮。
エレメントはFire(火)
エレメントのクオリティはHot & Dry
サインのクオリティはHot & Wet
北半球では、春分点から始まる白羊宮は春の始まりのサイン。
南半球では、その時期は逆に、秋の始まりとなる。
北半球で秋の始まりのサインは、白羊宮の反対側にある秋分点から始まる天秤宮。
天秤宮のエレメントはAir(風)
エレメントのクオリティはHot & Wet
サインのクオリティはCold & Dry
それなら、南半球のチャートは、黄道12宮をぐるっと180°回して見るのかというとそんなわけない。
天球図は変わらない。
変わるのは季節。
それに対応するのが、クオリティ。
サインのエレメントは地球の方角に対応すると思うので、エレメントのクオリティは変えない。
したがって変えるのは、サインのクオリティだ。
だから、白羊宮のサインのクオリティは、
北半球のチャートでは伝統通りHot & Wet
南半球のチャートでは反対側の天秤宮のサインのクオリティCold & Dryとなる。
生き物の性として、太陽が地上にいる間、人間は、太陽の方を向く。これが基本。
北半球なら南、南半球なら北。
人間の感覚は、方角つまり地球の回転に従うのではなく、光に従うということ?
まだはっきりとはわからないけどとにかく
暖かく明るいほうが正面。
逆に、冷たく暗いほうが背面。
北半球と南半球ではこの向きが反転する。
占星術の場合、HOT,COLD,DRY,WETの4つのクオリティ(性質)により黄道12宮にそれぞれ組み合わせができる。
対応させると、HOT=暖 COLD=冷 DRY=明るい※ WET=暗い※ となる。
※本当はDRY=乾 WET=湿 だけどここでの説明の便宜上
例えば、白羊宮。
エレメントはFire(火)
エレメントのクオリティはHot & Dry
サインのクオリティはHot & Wet
北半球では、春分点から始まる白羊宮は春の始まりのサイン。
南半球では、その時期は逆に、秋の始まりとなる。
北半球で秋の始まりのサインは、白羊宮の反対側にある秋分点から始まる天秤宮。
天秤宮のエレメントはAir(風)
エレメントのクオリティはHot & Wet
サインのクオリティはCold & Dry
それなら、南半球のチャートは、黄道12宮をぐるっと180°回して見るのかというとそんなわけない。
天球図は変わらない。
変わるのは季節。
それに対応するのが、クオリティ。
サインのエレメントは地球の方角に対応すると思うので、エレメントのクオリティは変えない。
したがって変えるのは、サインのクオリティだ。
だから、白羊宮のサインのクオリティは、
北半球のチャートでは伝統通りHot & Wet
南半球のチャートでは反対側の天秤宮のサインのクオリティCold & Dryとなる。
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Posted by suu(すー) - 2008.12.15,Mon
日中は太陽を、夜間は星を、基準とする。
太陽も星も、「光」だ。さらに言うと、恒星だ。
歴史的に、北極星は特別な扱いで、王の象徴だった。太陽もそうだ。
「光」を正面に見る方向が、人間にとっての正位置だ。
だから、
昼の北半球では、南が正面になる。
昼の南半球では、北が正面になる。
夜の北半球では、北が正面になる。
夜の南半球では、南が正面になる。
さらに、正位置があるなら、逆位置があるだろう。
古来から光を避けて行われる行為は、悪魔的とか、ネガティブな意味があてがわれた。
だから全部で8つの方向があることになるが、正位置と逆位置は表裏一体と見なし、4つの方向ということにする。
鏡を覗きこんで笑ってみる。
鏡に映っている顔も笑っているだろう。
確かに、泣き顔や怒った顔ではない。
でも、鏡に映っている顔は、実際の顔とは微妙に違う。
鏡には、実際の世界が反転されて映る。
だから同じようでいて、どこか違う。
北半球で発祥した占いの効果も、南半球ではそんなふうに微妙に違うだろう。
本質的には同じだけれど、北半球のやり方を修正する必要はあるのではないか。
では、具体的には?
《つづく》
太陽も星も、「光」だ。さらに言うと、恒星だ。
歴史的に、北極星は特別な扱いで、王の象徴だった。太陽もそうだ。
「光」を正面に見る方向が、人間にとっての正位置だ。
だから、
昼の北半球では、南が正面になる。
昼の南半球では、北が正面になる。
夜の北半球では、北が正面になる。
夜の南半球では、南が正面になる。
さらに、正位置があるなら、逆位置があるだろう。
古来から光を避けて行われる行為は、悪魔的とか、ネガティブな意味があてがわれた。
だから全部で8つの方向があることになるが、正位置と逆位置は表裏一体と見なし、4つの方向ということにする。
鏡を覗きこんで笑ってみる。
鏡に映っている顔も笑っているだろう。
確かに、泣き顔や怒った顔ではない。
でも、鏡に映っている顔は、実際の顔とは微妙に違う。
鏡には、実際の世界が反転されて映る。
だから同じようでいて、どこか違う。
北半球で発祥した占いの効果も、南半球ではそんなふうに微妙に違うだろう。
本質的には同じだけれど、北半球のやり方を修正する必要はあるのではないか。
では、具体的には?
《つづく》
Posted by suu(すー) - 2008.12.14,Sun
地球などの天体を伴いながら、太陽はオリオン座からヘルクレス座に向かっているという話。
オリオン座は、金牛宮の方角で、ヘルクレス座は、天蠍宮の方角。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/contents/chishiki/answer09/index.html
オリオン座は、金牛宮の方角で、ヘルクレス座は、天蠍宮の方角。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/contents/chishiki/answer09/index.html
Posted by suu(すー) - 2008.12.14,Sun
占星術の大元のルーツは、古代ギリシアとか、もう少し時代をさかのぼって古代シュメールやバビロニアとされている。いずれにせよ、ルーツは、中緯度の北半球である。
それなら、占星術は、北半球にしか適用できないものなのだろうか。
このテーマに入るにあたって、方角のことを考えてみる。
まず、太陽が昇る方角は、北半球でも南半球でも東で一致している。
地球は同じ方向に自転しているからだ。
今日右回りだったのに、明日は左回りになるということはないし、ましてや、北半球が右回りなのに、南半球が左回りになっていたら、もはや地球が球体ですらない。
※地球は本当に球体なのか。実は疑っていて、地球が回転しているから球体に見えるだけで、本来の形は、ミンコフスキー時空の光円錐のようになっているのかもしれないと密かに思っている)。
東が決まれば、その反対が西ということになる。
太陽は東から西へと、天上に弧を描くようにして動く。見かけ上は。実際は、太陽が動いているのではなく地球が動いている。
地球が北極の方から見ると反時計回りに回転しているので、太陽が東から西へと進行しているように見える。
理科で習ったコペルニクスの地動説の通り。
図による解説はこちらを参照してください。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/guide/auto/02_taiyou/taiyo09.html
http://yslibrary.cool.ne.jp/harorika023.html
東西とは、地球の自転の方向のことだと言える。だから、北半球、南半球関係なく、どこにいても東は東、西は西。
では、南北は?
こちらもやはり、北半球でも南半球でも北は北だし、南も同様である。
地球には2つの極があり、一方は北極(N極)で、もう一方は南極(S極)と呼ばれる。
その両極を貫く直線が地軸。地球の回転軸。
北極は常に北向き、南極は常に南向きで、固定されている(約25800年周期で一周するみそすり運動とはまた別の話)。ただ、このS極とN極は地球の長い歴史の中で何度か入れ替わっているらしい(ポールシフト)。
いずれにせよ、方位磁石は北半球でも南半球でも同じ方向をさす。
東西南北という方角は、地球の回転が決めていると言える。
だから、方角は北半球でも南半球でも一致している。
しかし、厄介なことに、人間の方向感覚が、北半球と南半球で違う。
それは、北と南の間に黄道があり、それをはさんで、南北の人間が向かい合う状態になっているから。だから前後左右が反転する。
北半球の人間にとって北は寒い方角で、南は温かい方角であるのに対し、南半球の人間にとって北は温かい方角で、南は寒い方角なのだ。
太陽の方、つまり、明るくて温かい方に顔を向けて正面にするのは、生物としての本能なのだろうか。
※ちなみに、ホロスコープを空間としてとらえると、東(ASC)/西(DSC)/天(MC)/底(IC)になります。東西南北ではありません。
さて次に、太陽の通り道、黄道を観察する。
北半球なら、太陽は南側を通る。
南半球なら、太陽は北側を通る。
太陽の見える方向が違うから、前後左右(人間の方向感覚)と東西南北(地球の方角)が、北半球と南半球で一致しない。
真昼、太陽を正面にするとき、
北半球なら、太陽は南中し、北半球の人間は、東を左にして、北に背を向ける。
南半球なら、太陽は北中し、南半球の人間は、東を右にして、南に背を向ける。
実際的な現象としては、季節が逆になることが挙げられる。
12月の今なら北半球は冬だが、南半球は夏。
さらに夜、太陽が見えなくなったら、星がその役割を担う。
北半球では「北極星」、南半球では南十字星が方角を決める手がかりとなる。
北半球から南十字星は見えず、南半球から北極星は見えない。
北半球の人間は、北極星を正面にすると、その反対側が南ということになる。
南半球の人間は、南十字星を正面にすると、その反対側が北ということになる。
正面と背後の向きが昼間とは逆になる。
昼間が正位置(+) 夜が逆位置(−)
とりあえずここまで。
《つづく》
それなら、占星術は、北半球にしか適用できないものなのだろうか。
このテーマに入るにあたって、方角のことを考えてみる。
まず、太陽が昇る方角は、北半球でも南半球でも東で一致している。
地球は同じ方向に自転しているからだ。
今日右回りだったのに、明日は左回りになるということはないし、ましてや、北半球が右回りなのに、南半球が左回りになっていたら、もはや地球が球体ですらない。
※地球は本当に球体なのか。実は疑っていて、地球が回転しているから球体に見えるだけで、本来の形は、ミンコフスキー時空の光円錐のようになっているのかもしれないと密かに思っている)。
東が決まれば、その反対が西ということになる。
太陽は東から西へと、天上に弧を描くようにして動く。見かけ上は。実際は、太陽が動いているのではなく地球が動いている。
地球が北極の方から見ると反時計回りに回転しているので、太陽が東から西へと進行しているように見える。
理科で習ったコペルニクスの地動説の通り。
図による解説はこちらを参照してください。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/guide/auto/02_taiyou/taiyo09.html
http://yslibrary.cool.ne.jp/harorika023.html
東西とは、地球の自転の方向のことだと言える。だから、北半球、南半球関係なく、どこにいても東は東、西は西。
では、南北は?
こちらもやはり、北半球でも南半球でも北は北だし、南も同様である。
地球には2つの極があり、一方は北極(N極)で、もう一方は南極(S極)と呼ばれる。
その両極を貫く直線が地軸。地球の回転軸。
北極は常に北向き、南極は常に南向きで、固定されている(約25800年周期で一周するみそすり運動とはまた別の話)。ただ、このS極とN極は地球の長い歴史の中で何度か入れ替わっているらしい(ポールシフト)。
いずれにせよ、方位磁石は北半球でも南半球でも同じ方向をさす。
東西南北という方角は、地球の回転が決めていると言える。
だから、方角は北半球でも南半球でも一致している。
しかし、厄介なことに、人間の方向感覚が、北半球と南半球で違う。
それは、北と南の間に黄道があり、それをはさんで、南北の人間が向かい合う状態になっているから。だから前後左右が反転する。
北半球の人間にとって北は寒い方角で、南は温かい方角であるのに対し、南半球の人間にとって北は温かい方角で、南は寒い方角なのだ。
太陽の方、つまり、明るくて温かい方に顔を向けて正面にするのは、生物としての本能なのだろうか。
※ちなみに、ホロスコープを空間としてとらえると、東(ASC)/西(DSC)/天(MC)/底(IC)になります。東西南北ではありません。
さて次に、太陽の通り道、黄道を観察する。
北半球なら、太陽は南側を通る。
南半球なら、太陽は北側を通る。
太陽の見える方向が違うから、前後左右(人間の方向感覚)と東西南北(地球の方角)が、北半球と南半球で一致しない。
真昼、太陽を正面にするとき、
北半球なら、太陽は南中し、北半球の人間は、東を左にして、北に背を向ける。
南半球なら、太陽は北中し、南半球の人間は、東を右にして、南に背を向ける。
実際的な現象としては、季節が逆になることが挙げられる。
12月の今なら北半球は冬だが、南半球は夏。
さらに夜、太陽が見えなくなったら、星がその役割を担う。
北半球では「北極星」、南半球では南十字星が方角を決める手がかりとなる。
北半球から南十字星は見えず、南半球から北極星は見えない。
北半球の人間は、北極星を正面にすると、その反対側が南ということになる。
南半球の人間は、南十字星を正面にすると、その反対側が北ということになる。
正面と背後の向きが昼間とは逆になる。
昼間が正位置(+) 夜が逆位置(−)
とりあえずここまで。
《つづく》
Posted by suu(すー) - 2008.12.13,Sat
イタリア・ルネサンス期の哲学者マルシリオ・フィチーノは自身の著書でこう書いています。
わたしはこれを読んだとき、新約聖書の「二人の主人に兼ね仕えることは出来ない」という記述に似ていると思いました。
星、聖書と来れば、キリストの降誕を知らせたベツレヘムの星に関連づけたくなるのが人情というか、時期的にクリスマスツリーの頂上を飾る星を頭に浮かべてしまいます。
あまりキリスト教に興味がない私でも、占星術関連の本を読むと、キリストと魚座が結びつけられていることは知っていますが、これは、ベツレヘムの星が、木星・土星のうお座会合(B.C.7)と見なされているからのようです。
http://www.kyoto-kcg.ac.jp/kcg/sakka/betsu.htm
※ベツレヘムの星に関しては他の説もあり、リンク先には、それらの考察があります。
一年の節目は、春分、夏至、秋分、冬至の4つあり、冬至は北半球ではラストのコーナー、つまり締めです。冬至の次には春分が来て、新たなサイクルのスタートとなるわけですが、今のうちから、そのサイクルの準備はしておいたほうがいいと思います。
だから、冬至には、次のサイクルに向けての抱負とか、希望とか、決意表明を、「親切にすることを約束してくれた星」に対してしてみるとよいかもしれません。
そしてその星は、いくつもありません。たったひとつです。
個々の処方では、出生図においてどの星がその個人に親切にすることを約束したのかを調べ、他の星よりもその星からの恩寵を請うことである。そして、それがどんな星であれ与えられたのなら、他の星に属する物やどんなただの贈り物でもなく、たったひとつのその星にしかない贈り物を待ち受けるのである。Three Books on Life Book, III, pp.255-81
わたしはこれを読んだとき、新約聖書の「二人の主人に兼ね仕えることは出来ない」という記述に似ていると思いました。
あなたがたは、二人の主人に兼ね仕えることは出来ない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。マタイの福音書6章19〜24節
星、聖書と来れば、キリストの降誕を知らせたベツレヘムの星に関連づけたくなるのが人情というか、時期的にクリスマスツリーの頂上を飾る星を頭に浮かべてしまいます。
あまりキリスト教に興味がない私でも、占星術関連の本を読むと、キリストと魚座が結びつけられていることは知っていますが、これは、ベツレヘムの星が、木星・土星のうお座会合(B.C.7)と見なされているからのようです。
http://www.kyoto-kcg.ac.jp/kcg/sakka/betsu.htm
※ベツレヘムの星に関しては他の説もあり、リンク先には、それらの考察があります。
一年の節目は、春分、夏至、秋分、冬至の4つあり、冬至は北半球ではラストのコーナー、つまり締めです。冬至の次には春分が来て、新たなサイクルのスタートとなるわけですが、今のうちから、そのサイクルの準備はしておいたほうがいいと思います。
だから、冬至には、次のサイクルに向けての抱負とか、希望とか、決意表明を、「親切にすることを約束してくれた星」に対してしてみるとよいかもしれません。
そしてその星は、いくつもありません。たったひとつです。
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