ASTROLOGY and TAROT
Posted by suu(すー) - 2008.08.07,Thu
さっきプロ野球の阪神-広島戦をテレビで観ていたとき、解説の人がこんなことを言っていた。
「選手を育成する日本のプロ野球と、ふるいにかけるメジャーリーグでは事情が違いますから」
その解説の人の名前や前後の話はまったく覚えてないが、それだけは、ちょうど私がここしばらく考えていたテーマに共通していたので、頭に残った。
生存競争が激しいのは、メジャーリーグの世界だけでなく、アメリカ的なスタイルすべてがそうだと思う。
勝者は生き残り、敗者は死ぬ。修羅の世界。
前提として、戦うこと。そして、勝つことで、はじめて存在が許される。
アメリカのメジャーリーグは、サバイバルの世界。
一方、日本の野球は、選手を育てることに重きを置く。つまり、スライブthrive〈成長する〉の世界である。
このアメリカと日本の違いを、「サバイバー」と「スライバー」にあてはめてみると面白い。
「サバイバー」は、厳しい競争の世界に置かれ、常に生存の危機にさらされた状態でいる。
一方、「スライバー」は、生存することが大前提の世界にいて成長することに意識が向いている。
両者の大きな違い。
勝たなければ死ぬ「サバイバー」は、勝つという条件をクリアしないと存在することを許されない。
それに対して「スライバー」は、存在することが当たり前なので、生き抜くのではなく成長して行く。
明らかに、「スライバー」よりも、「サバイバー」のほうが大変そうだ。
「サバイバー」と「スライバー」という言葉は、斎藤学氏の本で知った。
「サバイバー」は、トラウマを負っている。
そのトラウマによって、自分の存在に対する「不安」や「堪え難い寂しさ」が引き起こされ、「サバイバー」の心を占領する。そして、それが「サバイバー」の原動力となる。
トラウマと常に戦っていて、勝つことに血道を上げているのが「サバイバー」だ。
それではそのトラウマとはなにかというと、母親の愛情だという。
赤ちゃんと母親の、言葉を介さない特別な関係。
赤ちゃんは求め、母親は応える。
母親の無条件の愛情によって、赤ちゃんは、自分が存在することに安心感を持つことができる。
そして、自分の存在を肯定する絶対的な確信を持つようになる。それはどんなときでも決して揺るがない。
これが「スライバー」に欠くことができない要素である。
ただ、赤ちゃんの要求にうまく応えることができない母親というのもいる。
不運にしてそんな母親に当たった赤ちゃんは、ほぼ「サバイバー」となるそうだ。
「サバイバー」は母親の愛情を知らない。知らなくても、母親の愛情を得られなかった恨みというのは持ち続けるという。
なぜなら、赤ちゃんの欲求は、すべて生存に関わる本質的な欲求であり、それを得られなかったことで生存を脅かされていることを強く意識してしまうことになるからだ。
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/northa/1159856290/
このスレッドには、アメリカ人の「サバイバー」ぶりが書かれていて面白い。
アメリカで普及している抗鬱剤『プロザック』とか、、怖いなサバイバルの国は。
赤ちゃんと母親の話は、そのまま民族と風土にあてはめることができるだろう。
日本の気候は温暖で、豊かな自然の恵みを享受することができたし、四方を海に囲まれた天然の要塞によって外敵から守られ、そこに暮らす人々は生存を脅かされることはあまりなかった。
日本は、「スライバー」の国だ。
だから、育成は日本のプロ野球に限った話ではなく、日本の社会全体がそうだということ。
かつて日本の経済的な繁栄を支えた雇用形態も、「スライバー」的な発想によるものだったであろう。
しかし、現在は「サバイバー」的なものに変わっている。
風土と民族、宗教は密接に影響し合っている。
旧約聖書は、「サバイバー」の書だと思う。
厳しい気候でわずかしか採れない作物を奪い合うような土地では、生存すること自体が重要な問題となる。
旧約聖書に書かれている神と契約した者は、生きることが許され、それ以外は、存在を否定される。
「スライバー」な日本人にとって、わざわざ「神様」に認めてもらわなければ生きることが許されないという発想は、なじみにくい。
しかし、日本は戦争に負け、そんな「契約ありきの神様」が支配するシステムに迎合しなければならなくなった。
そんなことを考えながら、改めて松原 久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』を読んでいるが、納得することが多い。
参考:斎藤学 著『「自分のために生きていける」ということ』
「選手を育成する日本のプロ野球と、ふるいにかけるメジャーリーグでは事情が違いますから」
その解説の人の名前や前後の話はまったく覚えてないが、それだけは、ちょうど私がここしばらく考えていたテーマに共通していたので、頭に残った。
生存競争が激しいのは、メジャーリーグの世界だけでなく、アメリカ的なスタイルすべてがそうだと思う。
勝者は生き残り、敗者は死ぬ。修羅の世界。
前提として、戦うこと。そして、勝つことで、はじめて存在が許される。
アメリカのメジャーリーグは、サバイバルの世界。
一方、日本の野球は、選手を育てることに重きを置く。つまり、スライブthrive〈成長する〉の世界である。
このアメリカと日本の違いを、「サバイバー」と「スライバー」にあてはめてみると面白い。
「サバイバー」は、厳しい競争の世界に置かれ、常に生存の危機にさらされた状態でいる。
一方、「スライバー」は、生存することが大前提の世界にいて成長することに意識が向いている。
両者の大きな違い。
勝たなければ死ぬ「サバイバー」は、勝つという条件をクリアしないと存在することを許されない。
それに対して「スライバー」は、存在することが当たり前なので、生き抜くのではなく成長して行く。
明らかに、「スライバー」よりも、「サバイバー」のほうが大変そうだ。
「サバイバー」と「スライバー」という言葉は、斎藤学氏の本で知った。
「サバイバー」は、トラウマを負っている。
そのトラウマによって、自分の存在に対する「不安」や「堪え難い寂しさ」が引き起こされ、「サバイバー」の心を占領する。そして、それが「サバイバー」の原動力となる。
トラウマと常に戦っていて、勝つことに血道を上げているのが「サバイバー」だ。
それではそのトラウマとはなにかというと、母親の愛情だという。
赤ちゃんと母親の、言葉を介さない特別な関係。
赤ちゃんは求め、母親は応える。
母親の無条件の愛情によって、赤ちゃんは、自分が存在することに安心感を持つことができる。
そして、自分の存在を肯定する絶対的な確信を持つようになる。それはどんなときでも決して揺るがない。
これが「スライバー」に欠くことができない要素である。
ただ、赤ちゃんの要求にうまく応えることができない母親というのもいる。
不運にしてそんな母親に当たった赤ちゃんは、ほぼ「サバイバー」となるそうだ。
「サバイバー」は母親の愛情を知らない。知らなくても、母親の愛情を得られなかった恨みというのは持ち続けるという。
なぜなら、赤ちゃんの欲求は、すべて生存に関わる本質的な欲求であり、それを得られなかったことで生存を脅かされていることを強く意識してしまうことになるからだ。
http://life9.2ch.net/test/read.cgi/northa/1159856290/
このスレッドには、アメリカ人の「サバイバー」ぶりが書かれていて面白い。
アメリカで普及している抗鬱剤『プロザック』とか、、怖いなサバイバルの国は。
赤ちゃんと母親の話は、そのまま民族と風土にあてはめることができるだろう。
日本の気候は温暖で、豊かな自然の恵みを享受することができたし、四方を海に囲まれた天然の要塞によって外敵から守られ、そこに暮らす人々は生存を脅かされることはあまりなかった。
日本は、「スライバー」の国だ。
だから、育成は日本のプロ野球に限った話ではなく、日本の社会全体がそうだということ。
かつて日本の経済的な繁栄を支えた雇用形態も、「スライバー」的な発想によるものだったであろう。
しかし、現在は「サバイバー」的なものに変わっている。
風土と民族、宗教は密接に影響し合っている。
旧約聖書は、「サバイバー」の書だと思う。
厳しい気候でわずかしか採れない作物を奪い合うような土地では、生存すること自体が重要な問題となる。
旧約聖書に書かれている神と契約した者は、生きることが許され、それ以外は、存在を否定される。
「スライバー」な日本人にとって、わざわざ「神様」に認めてもらわなければ生きることが許されないという発想は、なじみにくい。
しかし、日本は戦争に負け、そんな「契約ありきの神様」が支配するシステムに迎合しなければならなくなった。
そんなことを考えながら、改めて松原 久子著『驕れる白人と闘うための日本近代史』を読んでいるが、納得することが多い。
参考:斎藤学 著『「自分のために生きていける」ということ』
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